2014-04-04

評論家入門 - book


小谷野敦著「評論家入門 ~ 清貧でもいいから物書きになりたい人へ ~」(平凡社新書刊 2004)読了。

特に評論家になりたいわけでもなく、「清貧もいい」なんて考えたこともないが、文芸批評と(柄谷行人について述べた)〈なぜ「恋愛」を避けるのか〉がオモシロそうだったので選んだ。
わたしはライヴ・コンサートにおける(商業的な?)音楽には「評論」というものは存在しないと考えている。「ライヴ・リポート」というものはあったとしても。なぜならそれは(複製品のように)万人が検証し、過去との考察も必要とする。わたしがライヴ・レコーディング専門レーベルを立ち上げたのは、それらのことも影響している。そのことについて書くときわたしは自分自身のことを「記者」(ジャーナリスト)だといい、複製品(ビニールやCDなど)について書くときは「音楽評論家」だという。

小谷野は(文芸)評論家になりたければ時間を惜しんでい「読め」と多読をすすめている。それにしても書籍を1冊読み終えるのに、小説などは別として、わたしの場合は(300ページほどのもので)4、5日を要する。年間50~60冊ほど。そのことと比較し、ライヴ・コンサートはその約2~3倍は観ることができる。映画評論となればさらにその倍は鑑賞可能だろう。優劣をつけるつもりはないが、文芸評論家はたいへんだなぁ。わたしはいつも速読の技術を身につけたいと考えているが、書籍代がままならないとも思ってしまう。それにしても、すべての芸術評論に共通するのは体験は質より量。ゆえに貧困へと陥ってしまう。それを「清貧」とはだれも呼んではくれない。


 




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