2016-06-28

“はじめて”のホイホイレコード Tシャツ

ホイホイレコードにとって、はじめてのTシャツです。
デザイン・コンセプトは「いたい気な少女が(ホイホイ)レコード産業を掃き清める」

2016-06-24

アメリカン・アコースティック live at ケネディ・センター

アメリカン・アコースティック live at ケネディ・センター、ワシントンDC

パンチ・ブラザーズ(クリス・シーリ)がホスト役となり、ベラ・フレック、エドガー・メイヤー、アイム・ウィズ・ハーが入れ替わり演奏するという趣向のライヴ。
わたしはベラ・フレックとクリス以外ははじめて観るプレイヤーばかりだった。とくにクリスとエドガー・メイヤーのデュオ・アルバムBass & Mandolin はわたしの大好きな作品である。もしかするとこのデュオのパフォーマンスを観ることができるかもしれないという期待を込めて観戦することにした。

1st.set
Punch Brothers : Julep / Magnet / Hops / Rye
I'm with Her : See You Around / Bright New Day / Crossing Muddy Waters
Bela Fleck and Edgar Meyer : Bach #6 / Bubbles / Canon / Pile-Up

2nd.set
Punch - Bela : See Rock City
I'm with Her - Edgar : I Think o f You
Punch - Edgar - Aoife : Here and Heaven
Bela - Gabe : Hard Times
Sarah - Punch : Tourist
Punch : Familiarity
Bela - Edgar : EM
I'm with Her : Be My Husband
Bela - Edgar - Punch : Blue Men of the Sahara
everyone : Long Hot Summer Day

encore
everyone : Fiddle Tune Medley / Father Adieu

なんといってもエドガー・メイヤー。
わたしが一番観たかったのはコントラバス・プレイヤーの彼だった。(あまりこういういい方は好きではないが)このイベントで彼だけがコンテンポラリーのプレイヤーである。残念ながらクリス・シーリとエドガー・メイヤーのデュオのシーンはなかったが、ベラ・フレックとのデュオは最高のパフォーマンスだった。もうこれだけでワシントンDCまで来た甲斐があるというシロモノ。はっきりいってベラ・フレックほどのミュージシャンでなければエドガー・メイヤーの相手はできないだろうし、その逆も。いくらクリス・シーリが「天才」であったとしてもまだ35歳。これからエドガー・メイヤーほどの攻撃力はないし、彼ほどやさしいタッチで演奏はできない。
これまでにベラ・フレックの相手役としてフレックトーン時代のヴィクター・ウッテンやオーテイル・バーブリッジなどどちらかというとプリミティブ系のベーシストを観てきたが、理知的なエドガー・メイヤーのほうがベラ・フレックのプレイに合っているような気がする。おそらくはベラ・フレック自身もそのことを理解していてプリミティブ系のベーシストたちと多くプレイしてきたのだろうけど。

このイベントの趣旨はアイム・ウィズ・ハーのようなこれからのグループとあるていどキャリアを持つパンチ・ブラザーズ(といってもまだ半世紀以上は演奏できるけど)、そのお目付役としてのベラ・フレックとエドガー・メイヤーがいた。この3世代?が混同することでアメリカーナ・ミュージック〜コンテンポラリー・ミュージックへと向かわせ、不滅のものへとさせるためだろう。
わたしの3席隣にノンサッチ・レコードの社長デイヴィッド・ビトナーがいた。
彼の仕業か?
ならばどこかにT−ボーン・バーネットがいてもおかしくなかったのだが。

meet again

「DCに住んでいるのか?」と後ろから声をかけられた。
最初はわたしに話しかけているとは気づかなかったけど。
振り返るとデイヴィッド・ビトナーがいた。ノンサッチ・レコード社長……というよりは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブをアメリカへ持ち込んだ男。
24日、ケネディ・センターで開かれた「アメリカン・アコースティック」というコンサートの会場で、わたしの3席隣に座っていた。
まぁ、彼がこのコンサートの実質的プロデューサーでもあるのだろう。会場にいても不思議ではない。
ディヴィッドと最後に会ったのは90年代の終わりごろ。ニュージャージーのパフォーマンス・アーツ・センターで開かれたルーベン・ゴンザレスのコンサートだ。終演後にライ・クーダーがバックステージへ連れて行ってくれて、おかげでマンハッタンまでの終電を逃してしまった。そのときにデイヴィッドが一緒にタクシーで送ってくれたのだ。
とても懐かしい!
もうルーベン・ゴンザレスも、カチャイート・ロベスも、イブライムも、コンパイ・セグンドのお爺ちゃんもブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーはほとんど亡くなってしまったのに、彼らがいたから知り合えたデイヴィッドとまた再会できるなんて。

コンサートがはじまる直前に電話が鳴った。
「1st が終わったら会いに行くから、座席番号を教えろ」とジェイソン・コールトンがいった。
彼とは2010年7月ぶりだった。
ジェイソンはフィッシュのパブリッシャーだった。彼がヴァーモントで会ったわたしの友人に「ホントのフィッシュのコンサートはもっとスゴいから、大きな会場でのショウをまた観に来てくれ」と声をかけたのがはじまりで、友人はそのショウにわたしを誘った。そのときにジェイソンと知り合ったのだから、もう20年以上もの付き合いだ。彼がいたからわたしはフィッシュを追いかけることができた。
ジェイソンはフィッシュ解散後(2004年)、トレインなどのパブリッシャーを務めていたようだが今はパンチ・ブラザーズのマネジャー。

久しぶりに訪れたワシントンDCでのコンサート。そこで、こんなに懐かしい人たちと再会するとは! とても幸せな気分になれた夜だった。

2016-06-22

有山じゅんじ・三宅伸治 live at 吉祥寺 MANDALA2

有山じゅんじにはやっぱりマーティンがよく似合う。
それも0017が。

今年3月に正式に復活した有山じゅんじ。
約8ヶ月間の癌治療期間を経て、無事にライヴ活動を再開した。
当初は元の声に戻るか、否かも懸念されたが、発症した箇所が幸いし元通りへ。それでも長期間使わなかった声はキーを下げて歌うしかなく、オープンチューニングを多用したライヴで、トレードマーク?のマーティン0017は使用していなかった。
しかしこの日は7割はマーティン。本人曰く「三宅伸治がいたから」なのだけど。

「だいぶ(声が)戻ったやろ?」
うん。
「でもなぁ、まだひとりでライヴやるのん不安やなぁ」
そらそうやと思う。まぁゆっく戻していくのがいい。

この日は三宅伸治がソロで「ロックンロール・ジプシーズ」、デュオで「ファーザー・オン・ダウン・ザ・ロード」を演奏。ふたり、わたしも含めると三人のアイドル、ジェシ・エドウィン・デイヴィスのナンバーを披露。有山じゅんじのレパートリーのひとつである(彼の)「メイク・ア・ジョイフルノイズ」はイントロだけだった。
本編の最後は「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」のイントロにのせた有山じゅんじの「ぐるぐる」。前者はサウス・トゥ・サウス時代、後者は近年の定番のナンバーを組合わせるとこはなんとお有山じゅんじらしい……が、声に負担がかかりそうで少し心配。

「でも、『ぐるぐる』はやらんとアカン。だいじょうぶや!」

アンコールは「明日、元気になれ」。
この曲は他者へ向けて作られたモノだが、今は有山ファンが彼に向けてみんながうたっている。


2016-06-20

甲斐扶佐義 写真展

京都にある「ほんやら洞」店主、甲斐扶佐義の写真展。そのオープニング。
甲斐扶佐義のことはその写真以外はまったく知らないし、「ほんやら洞」もその店名だけしかしらなかった。この企画に新宿のカフェ・ラバンデリアが関わっていたため、そして甲斐扶佐義と中川五郎が大学時代からの付き合いだったために参加した。

甲斐扶佐義の作品は、写真家としての教育を受けたものではないだろうと予測していたが、オリジナル・プリントを観てもその印象はかわらなかった。生活のなかの記憶−そちら側の要素のほうが圧倒的に強い。なので京都内ではとてもウケたのだろう。もちろん1970年代初頭という時代も後押ししたのだろうが。激動の時代のなかで「親しみやすい」写真。その相反するモノが同居する。それが「ほんやら洞」であり、甲斐扶佐義の作品だったのだろう。



無人島レコード

無人島レコード / mujinto record
01. 回想列車
02. サヨナラDAYS
03. デレデレしちゃう

 金杉裕介 g,vo
   金杉憲明 g
 松山 徹 dr
   石田大士 b

金杉裕介 ボーカルギター 
金杉憲明 ギター 
丸山徹 ドラム 
石田大士(The Remember Me) ベース 

わずか3曲かぁ……もう少し聴きたくなる。そういうところを狙ったのかな? 
これ以上聴きたければライヴへ来い、ということか?

乾いたサウンドとポップなメロディー、少しアーシーでロックっぽい印象を持つ。クレジットにはないがメンバーほぼ全員ヴォーカルも担当する(おそらくはギターの金杉
憲明 はうたわなかったか?)。コーラスワークをもっと強調すれば心地よいメロディーと石田大士のグルーヴ感のあるベースも全面に押し出せるのかもしれない。
個人的には「サヨナラDAYS」が一番好きで、この歌のなかにある世界観こそが彼らの「うたいたいこと」のような印象を受ける。たくさんのバンドがあるなか、無人島レコードはその「うたいたいこと」を持つ数少ないバンドのひとつだろう。

2016-06-13

パイレーツ・カヌー / What Do We Have To Prove?

  パイレーツ・カヌーの新作 What Do We Have to Prove?


レディー・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」をカントリー風にカヴァー!?

01.FAITH IN ME
02.BORN THIS WAY
03.THE SWEETNESS

2016-06-12

ビートとベビーブームの狭間



「コレ、だれ?」
いとうたかおがそう聞いたので「たぶんソロモン・バークだと思う」と答えた。
ライヴ後、得三店内で流れていた。
「ソロモン・バーグを観たとき、めちゃくちゃ泣いてん」と金森幸介が話しはじめた。
人は圧倒的な力をみせつけられたとき、うなだれるしかなかったとき、その相手を師と認める……という内田樹の文章を思いだした。
わたしはソロモン・バークを聞きながら、なぜかマール・ハガードのことを考えた。
ソウル・シンガーとカントリー・ミュージシャン。
彼らのリスナーが重なることはかなり少ないだろう。でもそのとき、わたしはふたりの音楽が似ていると思った。たぶん、とても「男っぽい」。
ガイ・クラークも男っぽい、無口な人だった。
彼の腰骨から腿にかけての太さ、強靭さは男っぽさの欠片もないわたしの想像を超えていた。あ、そういえばビル・グラハムも。
モハメド・アリはどういう人だったんだろう。
ビートとベビー・ブーマーに挟まれた世代、ベビー・ブーマー以前はみんな「男っぽい」印象があったのかもしれない。
ふ〜ん、マンダム……か?
ウチのオバちゃんは「美術界も同じ」といっていたので、文学のほうもそんな気になってきた。
金森幸介が「ロクなおとなしかいなかった」とうたうのは、こういう世代への反発か? 憧れか? ひ弱な肉体しか持たないボブ・ディランは完全に後者だろうなぁ。
次々と他界してしまう人たちと同世代のボブ・ディランは今、どんな気持ちだろう?
わたしは、もうすぐわたしにとっての「ロクなおとな」ばかりの世界になってしまうことに不安を感じているけど。

2016-06-05

ボニー・レイットとスーザン・テデスキ



世間ではこのふたりが似ていると評判になっているらしい。
わらしはそんなふうには思わないけど。

2016-06-02

田代ともや / 奇跡はそこまでやって来る!

田代ともや / 奇跡はそこまでやって来る!

01. You'er Musician 
02. WAON(和音) 
03. 辺野古~ヘヌク~ 
04. ちぎれ雲(アコースティックver,) 
05. 迷い人~難民~
06. Mr.タンバリンマン 
07. 天国の青空
08. ハッピーバースデー
09. 体は私なり 心は公なり
10. また…逢いましょう(inst)

李知承 イー・チスン / 哀号 アイゴ

李知承 イー・チスン / 哀号 アイゴ

わずか5曲かぁ〜。もっと聞きたいな。そう思わせるイー・チスンの2作目。タイトル曲「哀号」は印象的で、彼のスタイルを決定したような感じがする。5曲中3曲がホン・ヨンウンの作品。彼への敬意が
「哀号」を書かせたのだろうか?
01 哀号
02 俺の町
03 ダンボールの町
04 親父の歌
05 移りゆく日々